blog@kittanosaka

旅や日常を工夫して、面白く楽しく生きる人へ。

大阪新潟ヒッチハイクの話ではない

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二人でヒッチハイクをして、大阪から新潟を目指した話。

 

あれこれ書きたいことを溜め込んでいて、

なんでだろうと思い返すと、かっこいい文章というか

自分の中でこれだ!っていう文章を書きたいけど、

なんか怖くて筆をそもそも取ってない自分がいたよ。

 

だけど、そもそも今日書く時に思い返してブログ以前の

mixiとかで精力的に書いてた日記とか読み直してみると

書きたいことをそのままぶちまけててそっちのがいい。

 

変にいい文章書こうと気張ってるとそれが出る気がする。

 

自分でよく新しいことを始める時、始めようとする人に言うことは

「圧倒的な物量の先にしか質という概念は存在しない」こと。

 

いいなにがしってのは、戦略的に生み出すことは出来るかもしれない。

だけど、それは膨大な無駄にも思えるトレーニングの先にしかない。

 

 

飛び込み営業だとビルの上から下までピンポン押すことがそうで、

野球だと素振りや筋トレが圧倒的な物量にあたるだろうし。

物書きだと圧倒的に書きまくる、読みまくる先にしか何もない。

 

 

 

とにかくヒッチハイクはしたし色々(ヒッチハイク中に)あったのだけど

よく考えると、ヒッチハイクをしたことそのものよりも、

ずうっとずっとアホみたいに一緒にいた二人である僕らである背景を

伝えたいし伝わってから車に乗せてもらったことを伝えたい。

 

ヒッチハイクをしたパートナーとの出会いのmixi

 

税理士を目指し会計事務所で働く「あお」こと南くんと、

大手広告会社を辞めてふらふら日本一周に出た僕。

性格は反対的、だけど仲のいい二人。数少ない親友。少ない。

 

同い年の僕らが初めてあったのは8年前。19歳の時。

岐阜に住む彼と、大阪に住む僕が出会ったのは、

mixiのとあるカラオケオフ。

 

ひょっとしたらmixiを知らない現代っ子がいるかも知れないのでさらっと。

mixi.jp

人生初のSNS。当時招待制で、バイト先の友人から紹介いただいた。

前々関係ないけど初めて使った携帯はdocomoN505isです。

世は着うた(フルではない)で騒ぎだした頃。パカパカケータイ全盛期。

 

mixiですごいなっと思ったし今でも思うのは、コミュニティの機能。

同じ趣味の人が一同に介せる。すっごい簡単に。革命的だった。

 

歌が好きで仕方がなかったこともヒッチハイク

 

会う前からネット上でやり取りはしてた。

同い年であることも知っていた。

歌の趣味が尋常じゃないくらい合うことも。

 

身長が187センチもあるあおは地声は低く、

だけど歌声は筋が通り透き通り高い。

普段無口で落ち着いた彼はマイクを持つと別人になる。

 

たまたま好きなアーティストが同じで、又は似ていた。

たまたま同じ時期にカラオケの全国採点という機能にはまり、

我が名をランキングに残す為に朝まで談義と実践を重ねた。

 

あおとは何回一緒に歌いに行ったかわからない。

数えきれない程、歌会を主催した。参加もした。

名古屋へ行った会だけで3年で50回程。

 

大阪から名古屋までカラオケの為に、ワゴンRを駆り出した。

大阪で歌った回数はもっと多い。倒れないことが不思議なくらい。

今これを書く為に思い返してるけどホント楽しかった。

 

 そんな僕らは社会人になって途端にカラオケから離れた

 

そう。物事にはいつか終わりが来る。

mixi全盛の時は、まさかこんなに過疎化する未来が

しかもこんなに早く訪れるなんてバカだからイメージできなかった。

 

だけど、カラオケしまくってたオフ会しまくってたことも

あの頃になって、いつの間にか仕事に飲まれて、大人になった。

 

いっちょ前に敬語やビジネスマナーなんてものを覚えて

上司と一緒に行くカラオケでは必ずアルコールが入っていて

(本気で歌う時はタバコは勿論おさけも一切飲まない飲んだ後声でない)

それなりに上流っぽく見えるFacebookを作ることに疲弊した。

 

新潟のカラオケ仲間に会いに行こう

 

そう。そうなのだ。

全国採点onlineというWebカラオケサービスで馳せた我々には

各地に歌友達、歌先輩がいる。新潟にもいるのだ。

 

松岡さんとはあおも僕も共通の知り合いで、

同じ時期からいわゆる「うたスキ界隈」で活躍してた人。

何かの節にお会いする。昨年名古屋のカラオケでお会いした。

(あおが50人くらい集まる歌会を主催したのだ)

 

その時に、新潟で翌夏に「半世紀祭」なるものを

開催されること、そんなことを言われていた。

 

そして、twitterで連絡が来た。

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まずは新潟に行くこと自体を決めた。

それから誰かを誘おうかと、誰と行くかと考えることになる。

 

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既にあおには声がかかっていたらしい。

メールではなくLINEで僕は送る。

 

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そうして僕ら2人は新潟という目的地に向かうことになった。

 

当初の理想は寝台特急の食堂車で語らうことだった件

 

上述までの通り、僕とあおには語らうことが山程ある。

新潟まで一緒に行くことが出来るなら越したことはない。

だけど問題は、彼は名古屋で僕は大阪であること。

 

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そう。かつてであれば「何で行く?」という会話はなかった。

ワゴンRしかなかったからだ。だけどワゴンRは今はないのだ。

 

電車であれば、僕にはある意味理想のプランがあった。

 

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寝台特急だ。大阪駅を夜に出て、

食堂車で夜な夜な旧友と語り合えるなら、

これほど楽しい移動時間はないと思った。

 

だが…

 

大阪札幌間を運行していたトワイライトエクスプレスも…

大阪青森間の寝台特急日本海も、日本海新潟を経由するものは全滅。。

 

一度は乗ってみたい寝台特急だったけど、

気づいてそうして調べてみたら軒並みほとんどの路線で廃止。

あこがれの食堂車に乗ることは今回の旅ではかなわなかった。

 

であれば…

 

一人ヒッチならまだいいけど友人を誘うことに抵抗があった話

 

僕の脳裏にはヒッチハイクが常にちらついていた。

僕自身に問題はない。自転車日本一周で免疫はついてる。

というか一度だけどヒッチハイクは経験もある。

 

ただ問題は一つだけ。友人を巻き込むことはかなわん!

それでも旅をしまくっている友人なら抵抗はなかった。

しかし今回一緒に新潟へ行くのは、歌友達なのだ。

 

ヒッチハイクと対極にいるような大人しい友人なのだ。

とそう思っていた。だけど、真剣に自問自答した。

「お前はあいつの何を知ってるんだ?」

 

そうだ。知ってる。一緒に歌った。

何もかんも話した。ぶつかりもした。

だけど、ヒッチハイクしてるあいつは知らないじゃないか!

 

そうだ。やったことないのに自分であきらめることはない。

やったことない友人を向いてなさそうというだけで誘わないのは罪だ。

よく考えると「誘って断られるのが怖いな」という自分もいたのだ。

 

ダメもとで声(電話)をかけてみた。

 

 

きったん

「あのさ、新潟へ行く手段なんやけど」

 

あお

「はい」

 

きったん

「おれさ、ヒッチハイクでいこうと(割と真剣に)思ってるんだけど」

 

あお

「はいw」

 

きったん

「一緒に新潟へ行きたいと思ってるんだけど…」

 

あお

「つまりwww」

 

きったん

「二人でヒッチハイクして新潟までいこう?」

 

あお

「二人で!!ww」

 

きったん

「ダメ…かな?」

 

あお

「まぁ…構わんよw」

 

きったん

「!!!!!!」

 

そうして旅のはじまりが決まった

 

人生思い通りにいかないことばかりである。

そう。寝台特急を理想に掲げていたらヒッチハイクになったこと。

しかし一人を覚悟していたら友人も「構わんよ」との返事。

 

そして、ヒッチハイクスタートせずにこの記事が終わろうとしてること。

 

大阪新潟ヒッチハイクの話をやろうと筆を取ったけど、

これはもはやヒッチハイクの話ではない。そこへ至る道だ。

 

しかしこんな社会人二人が必死でヒッチハイクしたら

とっても素敵な出会いがたくさんあったので、

それについては続く記事で書きたいと切に願う。